歳時記 |
祝いそば
年越しそばの風習とは別に、元旦早々にそばを食べる地域があります。
これはおめでたい日にそばを食べるという風習から発したものらしいのです。
当然元旦はおめでたいわけなのでそばを食べるのです。元旦に限らず、祝儀の席には、そばが欠かせません。
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御正忌そば
そばと縁が深かった親鷺上人の命日に本願寺の法主がそばを食べる儀式です。
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節分そば
立春から年が明けるといわれ、この日にはそばを食べて身を清めたそうです。
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八日そば
12月8日、1月8日に行うところもあり、そばで鬼を追い払います。
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雛そば
3月3日のお雛様の日にそばを雛壇に供えそばを食べるのが習わしでした。
この風習がいつ頃どんな風に誕生したのかは明らかではありませんが、少なくとも江戸中期にはすでに庶民の間で、3月の4日にそばを食べるようになっていたようです。
なぜ3日ではなく4日なのか。それは雛人形に一年の別れを言って、みんなでそばを食べてから、人形をしまったからだそうです。
これは江戸独特のしきたりで、地域によっては3月3日のひな祭りの当日にそばを食べるところもあったらしいそうです。
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そば祖神
養老6(722)年、元正天皇がそばの栽培を奨励した日とされる。
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荷縄そば
仏様はそばで供物を背負うと信じられ、盆の時期にそばを打った。
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大文字そば
今日の御所では大文字焼きの夜には女官以下、下働きまでそばが振舞われた。
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山の神祭り
秋の収穫をそばを食べて祝う。日にちは場所によりずれることもある。
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恵比寿講そば
商売の神様、恵比寿講の日に大阪の商家では店の者全員が夜、そばを食べた。
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大師講
弘法大師にまつわる行事。この日は朝は芋、昼はそば、夜は小豆粥を食べる。
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早乙女振る舞い
新潟、青森では秋の収穫が終わると娘がそばを打って若者を招いたという。
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冬至そば
岡山、福島の一部ではこの日にそばを食べる風習がある。
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媒払いそば
江戸城の大奥では媒払いの後、奥女中はそばの振る舞いにあずかった。
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年越しそば
大晦日にそばを食べる風習は江戸時代中期には民間に根づいていたことは確かです。
しかし、なぜ大晦日にということになると、諸説粉々入り乱れて、これといった定説はありません。では年越しそばの由来の諸説をちょっとのぞいてみましょう。
その1.「細く長く」
今でも一般に信じられているのがこの説です。そばのように細く長く生きて寿命を全うし、家運も末永く続くようにとの願いからそばを食べるようになった。
その2.「切れやすい」説
切れやすいのがなぜいいのか。それは、そばのようにさっぱりと一年の苦労や災いと縁を切ろう、との願いをこめる。
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庚申そば
60日ごとに回ってくる庚申の夜に、清めと眠気覚ましにそばを食べた。
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「そばの日」・晦日そば
年越しそばと同じような縁起かつぎをして江戸の商家は毎月晦日にそばを食べた。
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